鬼龍院翔

【片想いでいい】ゴールデンボンバー「鬼龍院翔は生き残る」村上”PONTA”秀一氏が語る

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ゴールデンボンバーの楽曲「片想いでいい」に参加していたドラム奏者の村上”PONTA”秀一さんとお会いし、鬼龍院さんについての印象を聞いたという方から詳細を教えてもらいました。貴重なお話です(^-^)
tatsuoさんがリプを(^-^)


まとめようかと思ったのですが色々端折ると逆にわかりにくいので、頂いた文章ほぼそのまま載せます。

6/20 兵庫県西宮市のライブ
新進気鋭の若いギタリストを紹介するライブ。
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しかしポンタ氏のMCが恐ろしくヤサグレMAX!最初は怖すぎて笑えませんでした。
スティービーワンダーは実は見えてる、とか、ユーミンは100人位のロシアダンサーの名前全部暗記してて頭おかしい、ライブ中名前読み上げてく異常な暗記ババアだな←誉めてる、竹内まりやにこの曲何年前の知ってるか?と聞いたら、ワカンナーイ、って言いやがったバカなババアだ←ホントは仲良し、僕はね、有名なライブハウスは大嫌いです、ピットインとかビルボードとかw←出演されてますやん、あいつら音楽のカテゴリーで人を判断して見下すから大嫌い、だからこんな小さな所でやりたいように喋りたいように喋ってます。なるほどー全国津々浦々、画廊、家具屋、喫茶店、など、30人位のお客さんと密着したライブされてるのはそのせいか。
ちなみにジャンルがバラバラw
JAZZ、フュージョン、ポップス、ドラムセッション、その他よくこんなに違う方向の音楽、毎日演れるなーと。
西宮のライブ後、家具屋の店主が現れ、朝までここ使って貰っていいので、ポンタ氏とお喋りして帰って下さいって!
これは片想い秘話聞けるかも!と思ったけど母と来てたので帰らねばならず次回のチャンスを待ちました。
キリショーが以前ラジオで事務所には一発でヒットを見抜く人がいる、その人に曲送って使えるか判断してもらう、って言ってたので、ヒットを見抜く素養、はどうやって培われたのかなーと考え調べてたら、ラテンフュージョンピアニスト松岡直也氏に行き当たり←昨年逝去、そこから色々興味が広がった次第です。
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写真は見たことあるかもしれませんが、石森さん、木村さん、松岡さんと後ろは当時ユークリ所属のZZ。ユークリが担当ディレクターをエイベックスに外注してた当時のもの。
ZZさんにDA PUMPが詩か曲提供してたの、このつながりでしょうか。
石森さんが松岡事務所でレコード原盤製作や版権について学んでた時代、ヒット曲多い時代でした。
9/6日曜日、大阪心斎橋のJAZZBARで、NYから来日したピアニスト、ヴァナーギーリックのJAZZLIVEへ。
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ピアノ、ボーカル、ウッドベース、ドラムの四人構成でした。私は共演者に村上ポンタ秀一氏の名前を夕方見付けて急遽駆け付けました。
ピアニストのヴァナー氏はSEX&theCITYにも曲を提供された方、ボーカルは奥様の本田しのぶ、ウッドベースは坂井紅介、
小さなバーにお客さん満員、ポンタ氏の膝迄50㎝の距離で鳥肌の立つ素晴らしいライブを体感しました。
終演後、お知り合いの方と談笑されるポンタ氏が空いたところを見計らい、私はライブの御礼と6/20も西宮市のライブに行き、家具屋さんでのライブにビックリしたと伝えました。
去年7月、ボンバーさんの城ホライブで片想いでいいが流れて←豪華演奏者ver、そのドラムが凄く心に響いて後であの音はポンタ氏のドラムだっと知ったこと。
今は30年前のポンタ氏が松岡直也さんとウィシングというバンドを組まれていらっしゃった時の音源毎日聞いてます、約30年前に松岡直也さんのマネージャーをされていた石森さんが現在ユークリッドで所属のボンバーさんの曲を松岡さんと組まれていたポンタ氏が演奏されて何と不思議な…などと感想を話しました。
『あー西宮市の木国堂ねーいい場所でしょ?でも周りが住宅街で苦情が来てライブ出来なくなっちゃったんだよな、だから今日はここだよ、ここもいいライブバーでしょ?
片想いでいい?あーいいちこね、ウィシング?松岡さんの時の?君そんな昔の聴いてるの?変わってるね』

私 『あのーどうしてエアーバンドの曲を演奏して下さったのでしょうか?
『そりゃ誰かが演ってくれと頼みに来たんでしょ。ま、いいちこはアレンジが知ってるヤツでさ(←多分弦一徹氏、ポンタ氏と弦氏の一緒の仕事他にもありました)
そうだ!いいちこ、演奏シーンカメラ回していいか?って聞かれたからああいいよ、って答えたんだよ、あいつらずっと録ってたのにPV見たら俺映ってない!俺のシーン切られてたぞ!どうなってんだ?俺は暴れたよ!言っとけ!俺が映ってない!って』
柳沢慎吾のピーポーピーポーのマネで暴れるシーンを再現のポンタ氏w
私『え?そうなんですか?申し訳ありません!言っときます!』←誰に?私平謝りw
悪いと思ったのか?
『いや、彼等とはレコーディングでは会ってないけどね、後で彼等から丁寧な御礼がきちんときましたよ』
サンキューユークリ!(^-^)/♡←当たり前かw
松岡直也さんの話や最新の防音装置や凄い性能のいいマイクの話とか素人相手に色々話して下さいました。
誰の話なのかわからなくなると、ガラケー出してきて、えーとアイツの名前は…とか調べてくれたり。
そして
『あ、あのリーダーのコ、何てったっけ?』
『き、鬼龍院翔さんですっ!』
『あ、鬼龍院君ね。あのコは素晴らしい才能だよ。この先絶対生き残るよ。以前から僕だけじゃなくて業界の連中もあの子には注目してるよ。彼は作詞出来るでしょ?作曲出来るでしょ?歌詞がいいんだよなー、曲も素晴らしい…』などなど。
『ホントですか?!ありがとうございます!』涙目w
私、巨匠相手に15分も応接セットで二人きりw
腰を低く礼儀正しく真剣に、お話聞かせて頂きました。
ありがとうございましたっ!又来ます!
ってお辞儀したら笑顔で握手してくれました泣…>_
多分1982年頃、約33年前の新潟エキサイティングJAZZNight↓
☆松岡直也&ウィシング


↑3分くらいで若かりしポンタ氏が映ります、ホリエモンに似てるw私が毎日この曲聞いてます!って言ったらポンタ氏驚いてました。
石森さんが大学出て松岡さんの事務所に入ったのが1985年頃だから多分ウィシングは解散してたと思います。
1985年、松岡直也さん作曲のミアモーレ、レコ大受賞!松岡さん作曲大賞受賞!

ということでした!鬼龍院さんは業界でも注目されている…!
こんな貴重なお話を提供して下さったのは@nemuko007さんです。ありがとうございますm(__)m
ご自身のブログやTwitterで書かれた方が…と言ったのですが今ブログは書かれてないそうです(もったいない!)
掲載許可は頂いています。
自分のことじゃないですが、こういうお話を聞くと嬉しいですね(^-^)

11/17 PONTAさんのライブに行き、そのことをつぶやいたらtatsuoさんからリプもらったとのことです(^-^)

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